「これが……赤い鬼の力……!?」
 月讀宮へ向かう頼信殿の道中には、柳也殿が殺めし山賊共の屍が散乱しておりました。その屍は既に腐敗が進み、鳥や獣に至る所を食い付くされ見るも無残な様相を表わしておりました。
 ただ、その討ち捨てられし屍からも、この者共が如何様な形で生涯を終えたかは手に取るが如く理解することが叶いました。その人知を超えた力によって生涯を終えられし屍から、頼信殿はこれが柳也殿の仕業と直感的に悟ったのでした。
「っ……」
 その凄惨な場を尽く目にし頼信殿は、暫しの沈黙に陥りました。ただ、それは凄惨な場を目にし悲痛の念に駆られたからではありませんでした。
「うおおおおお〜〜!」
 沈黙の後、頼信殿は気でも違えたかの如く、辺りの木々を太刀で斬りつけました。
「笑っているのか、お前は! いつものようにその面に隠されし顔で俺を嘲笑っているのか!!」
 頼信殿の脳裏には、自分の目の前に壁の如く立ちはだかる柳也殿の姿が万華鏡の如く映し出されておりました。
 頼信殿のお父上にあたる源満仲みつなか殿は、花山帝ご出家の際、京を出立為さりし花山帝を山科の元慶寺に護送為さる任を務めました。
 そのように柳也殿と同じく藤原家に仕える者同士の間柄から、満仲殿と柳也殿の間にはそれなりの親交がございました。
 そして頼信殿は柳也殿と幾度か手合わせをし、尽く敗北を喫しておりました。


「貧弱、貧弱。お前の腕では頼光よりみつ殿すら超えられぬ」

「あの鬼め! 既に五十近き兄者にすら俺は劣っているというのか!!」
 手合わせの度、柳也殿はいつも頼信殿に兄の頼光に敵っていないと仰っておりました。
 頼信殿は頼光殿とは二十近く歳が離れ、五十近くの頼光殿に対し頼信殿は未だ精強な二十代後半の丈夫でございました。
 既に知命近き兄より二十代後半の自分の方が腕が上なはずだ。常々そうお思いになられている頼信殿だからこそ、柳也殿の言葉は恥辱としてお心に刻まれているのでした。
 ガサガサッ!
 その時、辺りの草叢から巨大な影が忍び寄りました。その影は七尺はあろうかと思われる巨大な熊でございました。
「熊か。屍の異臭でも嗅ぎ付けて来たか……!」
 己の身の丈より巨大な熊に襲われし人は、大概一目散に逃げ出すものでした。されど頼信殿は逃げ出すことなく熊の前に立ち塞がりました。
「熊に会い逃げ出したとあっては源氏の名に傷が付く。何より今の俺にとってはこの上のない好機だ。この熊を討ち取る事が叶えば、俺が奴より強い事が証明される!」
 凄惨な屍なれど、柳也殿が殺めしものはあくまで人。その人より強き熊を討ち取ることが叶うのならば、それは柳也殿より強き証拠となる。そう思いし頼信殿は、太刀を構え直し、果敢にも熊に立ち向かって行ったのでした。


巻四「望月の相聞」

「グアア〜」
 迫り来る頼信殿に闘争本能を刺激されし熊は、頼信殿に呼応するかの如く襲いかかったのでした。
「ゴアアッ!」
 ガキィ!
 猛烈な勢いで襲いかかる熊の右腕を、頼信殿は太刀で防ぎました。
 グググググ……
「何たる力……。これが熊の力か……」
 されど熊の強靭な力に、頼信殿は辛うじて力を防ぐことしか叶いませんでした。
 ゴシャッ!
「ぐわっ!」
 その間にも熊の左腕が頼信殿に襲いかかりました。その攻撃により頼信殿は右頬から右肩にかけて熊の鋭いかぎ爪に抉り取られ、その傷痕は傷口から肉が食み出る程の深い傷口でした。
「ぐうっ……」
 その傷により辛うじて均衡を保っていた頼信殿は、次第に劣勢に立たされていきました。
 グググ……シャア!
「げふぁっ!」
 とうとう頼信殿は力負けし、そのまま勢いに乗って襲いかかりし熊の一撃により、胸元に深い傷を負ったのでした。
「ぐぅっ!」
 その傷は意識を失う程のものでして、頼信殿は辛うじて持ち堪えたものの、最早立ち尽くしている気力すらなく、その場に倒れ込んでしまいました。
「ガアア〜!」
 その間熊は休む間もなく止めを差さんと瀕死の頼信殿に襲いかかったのでした。
(このままではやられる!?)
 その刹那、頼信殿は死を覚悟したのでした。



「ぐうう〜。熊に殺められたとあっては末代までの恥!今この場で俺が熊に殺められれば熊に殺められし腑抜けの子として王代丸も俺のように不遇の苦しみを味わい生きることとなる!
 源氏の名を汚さぬ為、何より我が子の名誉の為、俺はここで死ぬ訳には行かぬ!」
 ゴゴゴゴゴゴゴ……
「うおおおおおお〜〜!」
 ここで死ぬ訳には行かぬ!そう思いし頼信殿は全身から闘気を溢れ出させ、瀕死の状態にも関わらず立ち上がり、熊の猛攻を素手で受け止めたのでした。
「はああああ〜!」
 熊の猛攻を受け止めますと、今度は逆に頼信殿が熊を押し返したのでした。
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ」
 そして熊に隙が生まれし刹那を見定め、頼信殿は熊の胸から腹にかけて何度も何度も己の拳を打ち付けたのでした。
「オラオラオラオラオラ、沈めぇ〜!!」
 ズウウン……
 目にも止まらぬ拳の連打に熊は反撃する間もなく地面に倒れ、そのまま息絶えたのでした。
「はぁはぁ……。やったのか…!?」
 熊を打ち倒すまでの間無心に近き状態で闘い抜いていた頼信殿は、熊を打ち倒しようやく気を落ち着かせたのでした。
「奇妙なことに、熊に負われし傷がいつの間にやら完治している……。何よりこの身体の内から溢れ出る力は一体…!?」
 人より強き力を持ちし熊を打ち倒したことに、何より頼信殿本人が一番驚いたのでした。
「まあ良い。熊を俺の力で打ち倒したのは事実なのだ。これで俺は赤い鬼より強きことが証明されたに等しい!
 首を洗って待っていろ、赤い鬼の柳也!今度こそ俺はお前に打ち勝ってみせる! そしてその暁には、もう誰にも俺が呪われし血を継ぎし者などとは言わせん!」
 周囲の木々に木霊する如く、頼信殿はそう叫び上げたのでございました。



「ううむ。人がおらぬ社殿というのも何かと悪いものではないな」
 柳也殿の計らいにより神奈様にお仕えせし女官共も任を解かれ、私を除いた女官共は皆それぞれの帰るべき場所へと帰って行きました。
 人気のない社殿は事の外物静かで、五月雨が大地へと降り立つその一つ一つの音が鮮明に聞き取れるかが如くでした。
「時に神奈様。そろそろ柳也殿の会われてみては如何です?」
「それは天に聞け。五月雨が止まぬ間は会う気になれぬ」
「かしこまりました。ではその旨を柳也殿に伝えて参ります」
「うむ。頼んだぞ裏葉よ」
 神奈様に一言申し上げ、私は柳也殿の元へ向かいました。
 柳也殿は守護の兵がいなくなりし宮の門を一人で守っておりました。その元へ私は傘を差し駆け付けました。
「そうか、神奈様は雨が止まぬまで我に会わぬと申したか」
「はい。このような五月雨の中でも只一人で神奈様を守ろうと為さられる柳也殿に、多少お心配りを為さる気があるならば、そろそろお会いになられても宜しき時ですのに」
「翼人の一日は人の十日なのであろう?人払いをしてから二日しか経っておらぬのではまだ会う気にもなれぬものであろうよ」
「柳也殿がそうお思いなのであれば私は構いませぬが……」
 この社殿にお越しになり既に七日以上経っているので、流石の柳也殿も業を煮やしたか と思えば、柳也殿は至って冷静でございました。寧ろ業を煮やしていたのは自分の方ではないかと、私は己の心に恥ずかしさを覚える次第でございました。
「それに我自身、雨の日には人に会う気は起きぬ」
「それは何故でございましょう?」
 柳也殿のような丈夫が雨の日に人に会う気が起きぬというのは意外なことと思い、私は思わず柳也殿にその所以を訊ねました。
「雨の日というのは何処となくもの悲しさに打ちひしがれるからよ」
 確かに雨の日というものはそのような気分になるものです。ただ、それは私のような女や普通の男が感じるもので、柳也殿の如き丈夫は雨などに動じぬものだと思っておりました私にとりましては、やはり意外なことでございました。
「然るに、過日神奈様が申したことは真であったな」
「それは何のことでございましょう?」
「この宮に捕われているというお言葉だ。宮の周囲を見渡してみたのだが、さも大層な壁に囲まれておる。このような壁は京の都にはない」
 確かに月讀宮を囲いし壁は多少のことでは壊れそうにもない堅強な壁です。されど月讀宮は神奈様が住みし社殿を囲む広き庭園を持ち、自由には出入り出来ぬものの閉じ込められているという感覚は抱きません。
 あのお言葉はご自分のお立場にご不満をお持ちの神奈様の比喩だと私は思っていましたが、柳也殿はそのお言葉が真のことであるとお思いになられたようです。
「では何故神奈様のお言葉が真のことだとお思いになられたのでしょう?」
「うむ。これは聞いた話だが、今は滅びし唐の都長安は立派な城壁に囲まれていたという。されどそれは人々を外敵から守る為ではないという。確かにそのような目的もあったのだが、それは真の目的ではないという話であった」
「では真の目的とは?」
「それは民を管理、統制する為。外敵から民を守るのではなく、民が逃れられぬようにし管理、統制するのが真の目的よ」
 翼人は月の身使い、それ故神奈様を大切に守護せねばならない。あくまで守護せんが為に神奈様が閉じ込められていると感じる程の壁を築き上げている。守護する為の造りという観点に立ち柳也殿は論を展開しているのだと思っていた私には、柳也殿の言はいささか驚きに値するものでした。
「無論。都の内裏なども壁に囲まれておる。それは言わずもがな、天皇のお命を守らんがする為だ。
 ではこの宮と内裏の違いは何か? その違いを決定付けるのは兵の士気よ。内裏を守護せし近衛府の者共は、天皇をお守りするということからも、その士気は使命感を帯び精強たることこの上ない。されどこの社殿を警護せし者共は、近衛府の者共の如き士気はいささかも感じ取られぬ。月の身使いと呼ばれる翼人を警護しているのならば、その士気は近衛府の者共に勝るとも劣らぬものであっても不思議ではないというのに。
 然るに、社殿を警護せし衛士共の話を聞き、全て氷解した。彼等は挙って神奈様に怖れを為していた。
 ではその怖れの心は何処から来るのか? それはこの社殿を囲いし壁に象徴されるが如く、神奈様を閉じ込めておくことから来ておる。翼人という神秘的な存在を閉じ込めておくと何か厄際に遭うのではないか?常々そう思っているからこそ士気の無き者ばかりなのよ。
 それ故、我は衛士共を早々に解任させたのよ。これから神奈様を都にお連れ申すのであるから、神奈様を閉じ込めておく兵など無用の物になるからな」
 単なるお心遣いから兵や女官共の任を解かれたとばかり思っていましたが……。その実は柳也殿のそれなりのお考えに基いて行いしことでございました。私が当初抱きし心優しき丈夫といった面影とはまた違った、謀の賢かりし者という柳也殿の一面を垣間見し時でありました。



「そうか。柳也殿はそう申したか。中々慧眼なものよ」
 夕食が済みし後、私は柳也殿が仰りしことを神奈様にお伝えしました。柳也殿がご自分の置かれていらっしゃる境遇を適格に指摘したことに、神奈様はご気分が優れたようでした。
「確かに余はこの宮に守護という意味合いではなく、外に出さぬようにする意味合いで閉じ込められておる。現にこの宮に参ってからの百数十年は、宮の外に出た記憶がない」
「宮の外に出たことがない? では神奈様はこの壁に囲まれし宮の内の世界しかご存知ないのですか?」
「うむ。この宮の外に広がる、人が住みし世界は知らぬ。然るに、回りの山が織り成す四季の景色、雲が流れ昼には日が照り、夜には月と星とが輝く空は知っておる」
 私もこの年になるまで自分の住みし村の外には滅多に出なかった者なれど、神奈様程ではありません。生まれてこの方宮の外にお出になられたことがないというのは、いと物寂しきことだと私は思います。辛うじて宮から眺められる大地や空を存じていらっしゃることが救いであります。
「さて、どうやら五月雨が止んだようだな。そろそろ柳也殿の元に参るとするかのう」
「えっ? 神奈様直々に柳也殿の元に参られるのですか?」
「うむ。今宵は望月、雲がなくなればいと美しき月夜であるからな。外で会うというのも悪くはない」
「は、はぁ。神奈様がそう仰るのなら……」
 神奈様は心がお決まりになった時は柳也殿を社殿にお呼びになるとばかり思っていた私は、いささか途惑いを感じられずにはいられませんでした。何より望月の元お会いに為さろうとするのが、恋仲同士で歌を交わす情景を思い浮かべてしまい、何やら嫉妬めいたものを感じてしまいます。
「では裏葉よ。余はこれから柳也殿の元へと向かう」
「はい」
 一人私を置き、神奈様は柳也殿の元へお向かいになりました。然るに私は、神奈様がどのようなお気持ちで柳也殿に自らお会いに為さろうと思い立ったのか気になり、神奈様に気付かれぬようその後を追いました。



「待たせたな、柳也殿」
「ほう、これはこれは。てっきり裏葉殿が我を呼び付けに来るかと思いきや、神奈様自ら我の元へ参上為さりましたか」
 神奈様直々に柳也殿にお会いになる所を、私は二人に気付かれぬよう垣間見ておりました。神奈様自らが参られたことに、流石の柳也殿も驚きのご様子でした。
「余にとっては半日ぐらいのものだが、お主にとっては七日近くの時を過ごさせたのであるからな」
「構わぬ。待つのには慣れておるからな。然るに、七日の時が半日というのはどういうことなのだ?」
「余は人と刻の感覚が違うのだ。おおよそ人にとっての十日が余にとっての一日よ」
「ほぉう。それは面白きことよ」
 私は既に知っていることでしたが、初見の柳也殿には物珍しきことのようで、翼人の体質に興味津々のご様子でした。
「然るに、裏葉にこの宮の私見を話したというが、随分と的を得た見解であったぞ。柳也殿が裏葉に申した通り、我はここに閉じ込められておるといっても過言ではない。宮の外に出ようと思っても、衛士共に止められ自ら外に出ることを許されぬ身であった。
 見張られておるというのは酷く窮屈なものだ。故に柳也殿が衛士共の任を解いたのはこの上なく爽快であった」
「これから神奈様を京にお送り致すのならば監視の兵などいらぬものだと思い、人払いした次第です」
「それも裏葉から聞いた。然るに、余はまだ京の都に行くとは言っておらぬぞ」
(えっ……!?)
 てっきり、神奈様は京の都へ赴くご決心を固めたから柳也殿にお会いになられたと思っておりましたが、どうやらそのようなご様子ではないようです。
「話しは変わるが、柳也殿。お主に母はおるか?」
「母でございますか。もう別れて二十数年になり申すが、無論母君はいました」
「そうか。自ら鬼と語ってはおるが、やはり母はおるのだな……」
 その時神奈様は望月を眺め、悲しきお顔を為さいました。
「羨ましいものだ。余も母に会ってみたいものだ……」
「ほう、それは奇異なことを申されますな」
「奇異なこと!? 柳也殿、お主は母に会いたいと思うのが奇異なことだと申すのか!」
 その刹那、空に目を向けていた神奈様のお顔が柳也殿の方を向き、お怒りのお声が柳也殿に向けられました。
「いえいえ。母に会いたいと思うことが奇異だと申したのではありませぬ。翼人というのは月が満ち欠けるが如く、年老いたものならば再び若返り、それを永久に続けるものだと聞きまして。
 故に翼人は子をもうけず永久に生き続けるものと思うておりましたので」
「少なくとも、余は生まれてこの方老いてまた若返りしことはない。
 されど、我が母は分からぬ……。余を生みし母君は月の如く老若を繰り返しておるかも知れぬ」
「おるかも知れぬ? 己の母のことであるのに存じ上げぬと申されますか?」
「うむ。余は母君に一度もお会いしたことがない。物心付きし時には既にこの宮に閉じ込められておった。故に母君がどのような人かも、その顔さえ知らぬ」
 母親のお顔すら存じ上げぬというのは、大層悲しきことでございます。母の顔も知らず外に出ることも許されぬ生活を繰り返し為さっていたとは、何とお不憫なことでございましょう……。
「ではその生死も分からぬのか?」
「いや、きっと生きておる」
「その所以は?」
「いつぞや衛士に何故余をこの宮に閉じ込めておるのかと訪ねし時があった。その時の衛士の答えは朝廷の命でありそれ以上のことは知らぬと答えた。
 大方天皇や公家達の命であろうと思い続けていたある時、都から余の様子を見に来た使者に同じことを訊ねた。その時の使者の答えはこうであった、
『それは神奈様の母君の命である』と……」
(えっ……!?)
 神奈様のそのお言葉に私は動揺を隠せませんでした。柳也殿がこの月讀宮に参られた際、神奈様は「余をこの宮に閉じ込めておる者の命など聞けぬ」と仰りました。それは天皇自らが神奈様を閉じ込めていたものとばかり思っていましたが。
 然れど、天皇は実行者に過ぎず、神奈様の母君自らが神奈様を閉じ込めておくよう命じていたとは……。
 一体何故自らの子をこのような場所に閉じ込めておくのでしょう? 人に近き神奈様とは違い、その母は人とは異なる者であると感じられずにはいられませんでした…。



「柳也殿。一つだけ約束して欲しい。それが叶えられるならば余は京に参ることを躊躇わぬ」
「御意。してそのお約束とは?」
「余を、余を母の元へ連れて行ってもらいたい……」
 京へ参ることの条件として神奈様が突き出したこと、それは母君の元へ参りたいというものでした。
「ほう。己の子を閉じ込めているような母にお会いしたいと申されるのですか?」
「知りたいのだ。余を何故この宮に閉じ込めておるのか、その真相を。
……それに、例え余を閉じ込めておこうとも、余の母に変わりはない!」
 例え自分に辛き試練を与えている者だとしても、それが母であるならばお会いしたい。それが親を持つ者ならば当然の感情なのでしょう。
「然るに、神奈様の母君が何処へおるのか分からねば連れて行きようもない」
「母のいる場所か……。今もそこにおるかは分からぬ。幼き時、母君にお会いしたいと必死に泣き叫んでいた時、回りの者が『高野にいらっしゃる』と漏らしたことがあった…」
「何と! 高野におるというのか!?」
 高野。恐らくは真言宗が総本山、高野山金剛峰寺を指しているのでしょう。神道仏道の違いあれど、この伊勢と同じく国家安泰を願う地。その地に神奈様の母君がいらっしゃると言われても不思議ではございません。
 それよりも、私には高野の名を聞きし刹那、表情をお変えになられし柳也殿の方が気になって仕方ありません。一体高野に柳也殿が驚くような何かがあるのでしょうか…?
「御意。神奈様の願い、この柳也が必ず叶えてみせると、この望月の元約束致そう」
「そうか。済まぬな。しかし不思議なものだ。最初柳也殿に会った時は、何たる無礼者と思うたものだが、今は父や兄の如く思えてならぬ……」
 こうして神奈様は京の都へ赴くこととなりました。ただ、私自身は酷く腑に落ちぬものがございました。
 私が柳也殿と初めてお会いした時もまた、望月の晩。今宵はその晩を思い起こさせるが如く晩。そのような時に、何故柳也殿の側にいるのが神奈様なのだと……。



「ん……」
 子の刻を過ぎし辺りでしょうか。私はふと目覚め、庭の方へ向かい歩き始めました。
 いつもならこの時間は神奈様が起きている時もあり、他の女官がお相手をしていることもありました。されど、明方には旅立つということもあり、今宵は神奈様も眠りに就いていらっしゃいます。
「あれは……?」
 庭の方へ向かうと、そこには望月の光に照らされし柳也殿のお姿がありました。柳也殿は数日位ならば眠らなくとも身体に支障を来たさないとの話でしたから、未だお眠りにならずに望月の夜をお楽しみになられているのでしょう。
(えっ……!? あれは…)
 辺りに人が見えぬからでしょうか。柳也殿は普段被りし鬼の面を外し、その素顔を望月の光に照らしておりました。
 その顔を見て私は思わず驚きの声をあげそうになりました。柳也殿のお顔は、初めてお会いした時と寸分違わぬ顔でございました。
 あれから十五もの時が経ったというのに未だ変わらぬ若々しいお顔。一体どのようにして若さを保っておられるのでしょう……?
「……」 
 今すぐ側へ寄り添い声をかけたい。そう思うものの、私は柳也殿を垣間見ているだけでした。
 人前では取らぬ面を取っている柳也殿の元へ寄り添えば、顔を見たことが所以で柳也殿に嫌われるのではないか。そう思うと、柳也殿に気付かれぬ様垣間見ることしか私には叶いませんでした。
「高野か……。ふふふっ……はははははっ! 出来過ぎている、余りにも我の思い通りに事が進んでおるぞ!」
「!?」
 突如望月に向かい高らかと笑い出した柳也殿。そのお顔は私が今まで一度も見たことのない柳也殿のお顔でございました。
「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び早二十数年。ようやく時が訪れたわ!
 母君、お待ち下され! まもなく我等の積年の願いが叶いまする!!」
 望月の夜空に声を上げ続ける柳也殿。そのお姿が普段の柳也殿とあまりにも掛け離れており、私は血の気が引く如くでした。
 柳也殿が二十数年堪え難きを堪え、忍び難きを忍んでいたこと、そして積年の願い。それらが何を表しているのか、私には知る術がありません。
 そのような中、ただ一つ思えること。それは柳也殿もまた、神奈様のように母君を求めているのではないかということでした……。



…巻四完


※後書き

 う〜ん、今回は一ヶ月以上空いてしまいましたね…(苦笑)。ネタに詰まっているのも事実だが単にサボっているだけというのもまた事実だったり…。
 さて、前回から登場した頼信が何の脈絡もなく熊と戦いピンチに陥り力が覚醒してオラオララッシュをぶちかますという、荒唐無稽な展開です(爆)。
 まあ、この作品は好き放題に暴走するつもりですので。あと数話で高野山に突入する予定なのですが、その前後から少年誌的展開になると構想しておりますので。目指せ、鳥山、荒木、今川的展開!(笑)
 それと中盤の城壁についての蘊蓄は、西尾幹二氏の『国民の歴史』を参項に書きました。西尾氏の話によりますと、最近の研究では大陸の城壁は民を囲う為のものであると言われてきているということでしたので。
 最近の研究の成果なのだから平安時代の人がその説を知る訳ないという意見もあるでしょう。それはそうとも言えるかもしれません。ただ、この時代の方が今より唐という時代が近いので、案外今の人より事実を把握している可能性が高いと思ったので。まあ、日常的描写が書けないから無理矢理入れたネタには変わりがないんですがね(笑)。

巻五へ


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